外応なのかな。

ベランダの紅ミニバラ、雨上がりに雨つぶで光っていた。
ああ、今日は午前中に1件、午後に1件と物件を見て疲れてしまう。午後のに決めようと思う。
不動産屋と会うのはえらい疲れる。

午前の物件を見てから喫茶店でモーニングをいただていると、マスターと顔見知りの70代くらいの女性が入ってきて、わたしにも買ってきたチーズを1ピース配ってくれました。
ん、これって外応なのでしょうか。
午後の不動産屋、店舗に入ると正面にカラスの扇子が広げてあって、ん、これも外応なのでしょうか。
ネットで探したらありました。

これ、梅の紋があったので大阪は天満宮の扇子です。妄想〜。
ああ、明日から時短ではなくなるしで生きづらいというよりは生きるのは面倒くさいことばかりが多いと思います。

そういえば、先週末、マスクが届いてました。
コロナ、第二波がやってくるかもしれませんし、大切に保管しておきます。
日本ってこんな狭い島国に約1億3000人も暮らしてるんですよ、遅れるなんて言ってられないですよ。対応、大変だと思う。己でできることは己でやるほうが早いのです。
その人が存在しないような意識下になってしまうことをゾーンという。
吉福氏いわく、
ゾーンに入るには長期間徹底的に自らの身体、自我を激しいストレス状態に置かなければならないという、つまりは不安になるのだけど、その不安のなかから大切なものを持ち帰ることができる人たちがいる。サルバドール・ダリなどは不安と恐怖を静かに見つめ不安と恐怖に絡め取られることなく見たものを詳細に描いている。
不安や恐怖は実は変容するためには必要不可欠なものなのでしょうか。
わたしにすれば、手放すとうよりも見つめて飲み込まれないようにすることしかできない。
スピ系の手放し方は見るからにとーってもシンプルで簡単そうにみえる。イメージで鉄の塊にしたりしてゴロゴロと転がして手放すという方法を見聞きするたびに、そんなことしてもわたくしの胃の痛みはなくならない。
不安や恐怖を受け入れるというのはなんなのか。
手放すも受け入れるもわからないが、気づいて「見つめる」ならできる。
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