お経の楽器は鐘


実家の寺は草むらだらけ。
ムラサキカタバミの花がまあるーーくホールケーキのように咲いていました。
裏庭は私よりも背が高くなった菜の花がうねるように咲いていて、その中を母が歩いたのか道ができていた。
菜の花のジャングル。
帰りの電車の中で、歴史作家 関裕二氏の本を読んでいた。
鬼=神というのは、どちらにもなりえるということです。鬼は神でもあるし、神(陽)は、鬼(陰)でもある。
古代日本人は、多神教=アミニズムと密接に関わって生きてきた。
生きとし生けるものすべてに霊が宿ると信じていた。人の発する言葉にさえも神を見いだしていた。物は物質であると同時に、裏返せば非物質的である理由はここにあります。
もともと「モノ」とは多神教における 神 そのものであったといいかえることも可能なのです。
人を守る神、自然の脅威としての鬼。
アイヌの祭祀形態は、神から与えられる恵みに感謝し、自然の脅威としての鬼にはできるだけ暴れないようにと祈ったのです。
私は思うのですが、
神の不在とは・・・感謝の不在なのかもしれません。
感謝という祈りは・・・空海の時代はどうだったんでしょうか。祈りというよりも陰、魔となってしまったモノは封印されたのではないのでしょうか・・・南無大師遍照金剛の寺に生まれましたが空海にはすこしこわいものを感じてしまいます。
陰とは、マイナスエネルギーになってしまったモノ(鬼)でしょうか。
水にたとえれば、人間の都合で汚されてしまった水、海、もろもろの自然・・・汚され陰となりマイナスになってしまったモノも本来はカミなのでしょう。
受け入れ感謝することにこれにつきるような気もします。
お経の鐘.AVI
上の動画は、本堂にある鐘。お経のミュージックといえばこれ。
いい音ですので、聴いて下さい。
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