持続のただなかに復帰する。


寒さすこし緩む。
ヒヤシンスが満開、帰宅してドアを開けるとヒヤシンスの香りが部屋に漂ってます。元気になる色ね。
お正月用に買った菊がまだ咲いている。
この菊もヒヤシンスも何人かのひとたちの手を経てわたくしのもとへ来てくれたんですね~ここへ来るために育ってきたようなものなのですか。
そう考えると大切にせねばなりませぬ。
昨年買ったベルクソン関連の本ををなんとか読んで、昨日からドゥルーズ関連の本を読んでいるけれどよーーーく、集中して読まないとわからないのであった。
在るものに直接触れる喜びが、少しずつ、至るところから入り込んでくる。
それは、一杯の茶の味であっても、季節の変化が送り込む微風であってもいい。
わたしたちの持続は、そこを流れている。
哲学することは、在るものに触れる喜びをいつもはっきりとわがものにする努力を続けることである。
宇宙という持続のなかで、その一部となって持続している。
ベルクソンの「直観」は、カントのいう時間の外に出るどころではない、それは実在の時間に、持続のただなかに復帰すること。
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