Meimay's days

I write about my daily life.

今ここを体感すると、

meimay

サロンで、今ここを体感した感覚を話していた。

 

それは、突然、やって来て、走馬燈のようにサーッと情報が流れて、すべて生きてる意味に気づく、そして自分はプログラミングされたなかの一人で、ホントに生きてるわけじゃなくて、これは必然で、これは自分が望んでる世界じゃなくて、自分はもっと大きな存在なのだというのが、バーっとわかるというのでしょうか。

あ、ホントに生きてるんじゃないんだ。こんなことしてる場合じゃないとなって、真に能動的になるっていうのかなぁ。能動的に生きるって、とても大切なことで、これをやりたいから生きてる、これを体験したいから生きてるという意欲がとても重要だということですか。

 

そう、思って生きてはいなかった。

というのも働いてる時間は与えられたことをこなすのにやっとだった。それ且つ、周囲と合わせるという必殺技もいるときにはいる。小さな職場では職業柄もあって、そういうのはあまり要求しても無駄な連中ばかりだったようにも思う。制作会社って制作する人ばかりだから、それ以外を担当する部署もないし、チームワークとは無縁だった。

休みの日に一人で出勤すると誰もいないので清々しい空気に満ち溢れていた。

 

宝塚とか政党のことを思うと、自分の所属しているコミュニティが閉鎖的な小集団(村)だった場合、その村を追われては生きていけないと洗脳されたり、宝塚のように人権や倫理は無視された行動を強いられる。コミュニティだといいながらもそこは唯一の世界ではなく、そこのルールや思想に従っているだけなので、他にもコミュニティは持っておいてもいいというのは昔、学んでいた知人の案だった。意識の棲み分け習合ができればそれもいいのではないのかと思う。

その思想のみ〜、それだけ〜、ここだけ〜というのは息苦しさを感じる。

 

 

わたくしの、しあわせタイム。