思うメモ
今月、気功ヒーリング(というのか)施術の予約を入れている。
13年間かかえている喉の不調を調整してもらうのである。咳が止まらなくなることが一日、何回かあって常に水は欠かせない。そのことで、仕事中、周囲に迷惑をかけたこともあっただろう。嘲笑している人もいた。タバコの煙などは論外である。わたくしがタバコの煙が苦手なのを知っていてわざと煙を吐き出す奴もいた。なぜかそういうことをするのはいつも女だ。
もちろん、施術料金は支払う。
で、その施術はカフェでやってもらえることになっているが、その席になぜか、他の人も同席するのである。これって、一応、個人的な問題ではないのだろうか。その同席者は知人なので、まあいいかとも思ったが、結局、日時は、その知人の女性の都合によって決定した。
わたくしもその女に合わせたのである。
これって、違うと思うけどね。
もう、断然、断ろうかと思ったけど、日時も決まってしまったので、行くことにした。
施術者は、「来月の地震よりも中東の方が100倍、気になります。」などとLINEしてきた。
こういう嘘っぽいことをさも100倍などと記す人からの施術は受けたくないと思った。100倍、思ってたら行けよ、中東によ。わしは、もっと身近な地震の方が気になるわ。それよりももっと地域の避難場所の方が気になるし、まじ、視点は近視眼的になる。
ニセコは裕福層じゃないと暮らせない場所になっているのだろうか。
円安でインバウンド(訪日外国人)の流入も止まらない。
日本は徐々に貧しい国になりつつあるのだろうか。
わたくしは、資産家らしい女に自分のずーっと生業にしてきた仕事を年収が低いと吐き捨てられたことがある。実際、年収は低かった。フルタイムで残業もしていたのにである。
だけど、今や、若い子の年収などを聞くと低過ぎるのではないのかと思ってしまう。
若い子で非正規雇用の人たちは皆、貧困をかかえていて、年収300万で何とか暮らしている感じする。
若いので綺麗だし元気というのもあって、一見、貧困には見えないのだ。
わたくしが若い頃は、まだ、日本に未来や希望があったように思います。
今はその余裕がないのではないのか。
人は、今の状況が辛苦だとそこから抜け出そうとする思考が弱くなる。要は、考えなくなるわけで、辛苦してるもんだから直感も働かなくなる。結婚生活などは子供もいると離婚などはなかなか考えられないわけで、辛苦なのに金銭的安定もあるしでそのまま考えないで生活を続けてしまう。で、他の場所で承認欲求を満たそうとする。
家庭内で辛苦してるので、他の場所が生きがいになったりして、その場所が新興宗教だったりするとのめり込んでしまう。陰謀論とかスピ系にのめり込む感じもそうかも、自分の経験からしてそこに豊かさや希望はないように思う。
自分を客観視すること自体が辛苦で惨めになるだけなので、それを隠して、幸せそうなふりを演じることもしますが、どこかにほころびが生じる。
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