昨日の続きなど

パトロール中のタケチン、活躍中。
昨日の続きメモ
天職と自己実現、自分探しは転職探し、社会の中に自分の居場所を見つける。それは、自己実現というよりは、所属意識というのはあるよね。自分の居場所を見つけると安心するっていうの。
社会的に機能していく人間にならないと、そう社会が要請してくる。
自我をもつことは、社会的に機能することで、自らを欺く力をしっかりともつということになるのだろうか。
わたくしは、そこを通過しないと成長しないし、その先へは行けないと思っていた。
だけど、その先はどういうイメージなのだろうか。
あえていうなら、十牛図(じゅうぎゅうず)の最終段階のイメージだと思っていたけれど、社会的に機能するという不健全は自我の確立は、十牛図(じゅうぎゅうず)の最終段階方向とは退行、逆行していると思う。
なりすまし十牛図(じゅうぎゅうず)の最終段階のイメージの人は大勢いるとは思う。
令和の虎というyoutubeを見ていた時期があった。
登場する令和の虎たちは皆、会社を経営して年収は何十億という経営者ばかりである。みていると自意識は強いというのはよくわかる。切磋琢磨というのも自我の確立には必須なのだろう。あのyoutubeを見ていると、社会の要求とは、理知的で合理化・数値化できること〜というのはわかる。量なのだろうと思う。量で生きていると疲れると思うので、虎たちの中には毎夜、キャバクラまたはアイドル的な綺麗な女性を横にモノのようにおきたがる傾向があるように思う。まあ、獲得したものは見栄えがいい方がステータスにはなると思うが、わたくしの美意識には大いに反していて気持ちが悪いと思うときもある。
自己イメージと自己評価はズレていて、そこに最大の問題があるという。だけど自己を正当に評価するとはどういうことなのだろうか。そこをまずやっていかないと、自我を超えていようがいまいが何も起こらないという。
トランスパーソナル心理学では、自我を確立した上でそれを内包しながら同時に自我の先に存在している成長の度合いがあるという。その先にいる人たちのモデルとしては、仏陀とかイエスとかインドの聖者とかだろうか。だが、神智学などを紐解くとピラミッド構造がしっかりしていて(マスターの進化段階とか)、なんだ、この世の不健全な自我の確立が霊界でも展開されているではないか。そりゃ、霊界の展開が写し鏡のようにこの世に映し出されるのも理解できるわ〜と失望していたこともあった。
自己を正当に評価するとはどういうことなのだろうか。
思うに、あるがままの自分を受け入れていく作業なのだろうとは思う。あるがままの自分とは、鏡の世界でのあなたはわたし(多様なパーソナリティ)を多面的にとらえて自分を統合していく作業なのだろうか。
なら、あなたはわたしであるけれども、それはいつもうごめていいるので、統合しているようで分裂しているというなら、とってもしっくりとくる。
吉福さんは、統合は固着、執着、アイデンティフィケーションだという。
つづく。
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