千のプラトーmemo9

ルドンです。
いいですよね!この絵の全てが!
クレヨンですか。
葉っぱのモスグリーン、線のタッチ、白の使い方、朱色の花のカタチ、背景に溶け込むようなベージュっぽいイエローの小さな花、濃いエメラルドグリーンの花瓶のザラザラした描き方、ああ、実物を鑑賞したいですね。
どこぞの美術館に保存されているのか調べようと思うね。
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器官なき身体とはなにか
まあ、わたしたちは、それをもっているのである。
それは、観念や概念ではなく実践であって、実践の総体なのです。
要は、すでにもってるわけよ。だけど、それに到達することはできないわけで、だけど接近し続けているわけですよ。(器官なき身体+器官+器官の有機組織化/脱有機化)
わかるかな、この感じが。
器官なき身体があって、そこにオーガナイズされていくわけです。
わたくしの髪にも白髪が増えるようにです。
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器官なき身体は有機化されない強度(器官なき充実身体(母胎))によって占められる。
一個の細胞が無数の器官に分化していく受精卵のイメージ、カタチの違うものがまた違ったカタチを生成していく、そのエネルギーが充満しているような感じ。
一個の細胞でありながら、いろいろな器官に生成していく感じ。
つまりは、受精卵って満ち足りているわけです。そこから生成されていくわけですからね。そういう満ち足りている母胎のようなものが、器官なき身体なのだと思われます。
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欲望と快楽
快楽から遠ざかることは、欲望を遅延させてはいるが、それ自身が満たされた内在野(内在する可能性や力が広がる場やフィールド)を作り上げていて、反対に欲望の肯定性のためであるのです。
ある種、変態みたいですね。
欲望のプロセスは自我や主体とは関係なく、その効果として自我や主体は生まれてくる。
そもそも欲望というのは個人的なものなのかということです。
例えば、道歩いていてソフトクリームの看板が見えたから食べたくなったとか、自分の意図していない欲望の流れ(プロセス)というのがありますよね。
そういう意味で、精神分析などは、わたくしと家族の問題などに還元してしまっているわけである。要は、因果関係から解決しようとしてないですか。ということなのだと思われます。
つまりは逆の発想が大事だということです。
つづく。
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