千のプラトーmemo12

ルドンです。
黄金色の森って感じする。
風呂上がりは、暑い。
夏はシャワーがいいね。
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硬質なモル状の線
切片性の線(国家、階級、職業など)、二項対立的(男/女、大人/子供、裕福/貧困など)では、将来性はあっても、生成変化は生まれない。
安定、面白味がなく、同一性による支配ってことだと思われます。
柔軟な分子状の線
切片を逃れていく線、硬質な線と逃走線のあいだで揺らぐ線、隠された秘密的なものが生じる。量子的または実の伴わない空想の流れの線でもある。
柔軟な分子状の線はミクロの分子的な線なので、マクロな硬質なモル状の線の視点では見えない次元です。
ここで、マクロ政治学とミクロ政治学につながって行く。
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ジェイムスの描くヒロインである若い女性は、柔軟な分子状の線の流れの中で、それ以上に進むことができなくなる。
ヒロインは妄想の中で、その先に進むことはない。ということは「何も起きなかった」ということになる。となると、硬質なモル状の線に戻らざる得ない(欲望消失)。
だけども、ヒロインの女性は、柔軟な分子状の線の流れの中という新たな線に到達はしているわけです。
それ自体が、第三の線である逃走線で、要は、何も起きてはいないのだけれど、ヒロイン自体の在り方は変化しているわけです。
何も起きてはいないが、すべてが変わってしまったということです。
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わたくし思うに、映画の「マディソン郡の橋」って映画を例に出すと、あの映画では、いいとこまで行ったけど、結局、硬質なモル状の線であるもとのさやに収まるわけです。
だけど、メリルストリーブ演じるフランチェスカは、一応、何も起きてはいない(映画の中では妄想でなく心の通じ合いがあるので実際は、妄想ではなく、起きてるけどね)のだけれど、彼女自体は生成変化したわけです。
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「何が起きたのか」を探究する分裂分析のはミクロ政治学、ミクロの政治は逃れられない存在以前のもの。
社会は至る所で逃走を起こしている。
権力や国家から逃走するのではなく、逃走線を塞ごうとするのが権力や国家である。
逃走線
既存のシステムそのものを逃れる線で、創造的で破滅的になることもある
これらの三つの線(硬質なモル状の線、柔軟な分子状の線、逃走線は、互いに内在しあう。
三通りの線が相互に内在し合うので、線を見分けるのは容易ではないし、内在しつつ固有の危険性をもつ。樹木モデル化というのは、常に固まって超越する方向性で、リゾーム化して行くというのは三つの線が広がっていく感じだと思う。
つづく。
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