原始仏教の立場
自己であるアートマンは、インドでは永遠不滅の魂だと思われます。
ゴータマ・ブッダは、アートマン(自己)の存在については、返答しなかった。
沈黙。
形而上学的質問(あるのか、ないのか、わからないもの)は、永遠に議論しなければならないからで、宇宙論的問題などは、仏教的立場からすると日常では使えない。
愚問なのだと思う。
五感(五官)によって認識されるものを一切という。
ゴータマ・ブッダは、一瞬、一瞬、認識できるもの以外は、返答しないという立場で、観て、触れられて感じられるもの、心で認識できるもの(色受想行識(五蘊))に限定して、返答している。
そして、それは無常であると説く。
無常のものは、苦でもあるし、楽でもあるし、苦でも楽でもないといえる。
人生は無常、無常だからこそ世界は美しいし、移り変わるのである。
宮元 啓一氏による五蘊の解釈
色-----色、カタチ
受-----感受
想-----識別(色、カタチなどの感受したものをパーツに分けて認識する作用)
行-----想起(記憶から概念を取り出して、識別から照合して形成する作用)
識-----判断(想、行の作業から判断を下す作用)
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永遠の魂であるアートマン(自己)は、永遠不滅で恒常のもので、ゴータマ・ブッダはそこは説いてはいない。
アートマン(自己)は、みられるものではなく、みるもので、観察も認識できないものなので、ブッダは、永遠不滅の恒常のものであるアートマン(自己)には沈黙したのである。
ブッダは観察できるもの認識できるものを退けて退けていくとサマディである解脱に到達できると説いている。
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