Meimay's days

I write about my daily life.

そのときだけ、

meimay


倍音声明瞑想、ありがたいという気持ちがわいてきても、あふれるってほどでもないし、瞑想が終わって自転車をこいで駅まで行き電車に乗り、乗り換えて、仕事場のある駅で降りて、はたらき者になってたりいろいろとしていると、その気持ちなどはすでに無くなっている。

瞑想やってるときだけ、一時的にわいてくるだけ。
身体、五感を使って意識的に入っていくということを身につける(というのか、)と、軸がしっかりとしてくるようにも思うけれどもただ自覚的になっているだけなのかも。


実家に行ったときに、自分の本棚を開いた。
若い頃は、小説も一応、読めていた。というよりも仕方なく読んでいたことがよくあった。いいから読んでみたら〜と勧められても小説に関しては あらすじだけわかればいい と、飛ばし読みばかりをしていたようにも思います。
モームの「人間の絆」は長くて長くてなんて長い小説なのだと忍耐しながら読んでいた。


藤原新也氏の作品は好きでよく読んでいた。
いまの若い人たちは 藤原新也 知らないかもしれません。

「地球の歩き方」が出るまえから、インドとかアジア方面まだ外国人が立ち入ることができない地まで旅をした写真家、作家〜とか肩書きなどは Wikipedia で読めばいいのだけれども。

本棚から「ノア」を持って帰り、いま読んでます。

想像を絶する世界が1983年に出た本に書かれてます。全然、古いと感じない、生きてます。
ニンゲンという動物のみが、海のものとも山のものとも知れず、所在なきものとなって、ここはどこか、わたしはだれかと自己の存在のアリバイ捜しに明け暮れる。
とは、そのとおりで、わたしもそのひとりでございます。

もう20年程もまえのこと、
京都大丸で藤原新也の写真展を兼ねた講演会あんどサイン会があった、もう〜、わしは興奮と緊張でどうしていいのかわからないほどで、藤原新也さんにどう近づいたらいいのかという自意識の塊になっていた、でも、ちゃんと写真集にサインしてもらって握手もしたよ。

自意識の塊になると余計な話さなくてもいいことまで話して相手に嫌がられるのだった、そういうときは酒を飲まなくてはいけない。酒を飲むとまたちがう意味で話さなくてもいいことをしゃべってしまうみたい。どーしたらいいのか。普通にしてればいいのだ。

そんなことよりも、またこの本を読むことができてしあわせだ。