Meimay's days

I write about my daily life.

共在感覚

meimay
自作小屋暮らし(冬)


寝太郎氏のTwitterでつぶやく言葉に共感してます。
動画はTwitterよりUPさせていただきました。

「小屋の暮らしに飽きたことは一度もないけどなあ。なぜなら楽しいと思ったことが一度もないから。」

わたし、昔、離婚して関東から関西に帰ってきたとき、4畳半の部屋に住んでました。
押入れが空中に浮いていて、4畳半のなかにキッチン付いてましたから畳は3畳半だったの、ベランダは無いわ、もち、トイレ共同でお風呂は銭湯よ。
電化製品は友だちがくれた古〜いご飯炊きだけ、冷蔵庫はなくても夏はなんとか乗り切ってました、あるから無いと不便に感じてしまうかもね、一人暮らしだったし、適当に創意工夫が湧いてくるしかない。

手を伸ばせばなんでも届くという、冬は知人が貸してくれた小さな電気ストーブとマッチ売りの少女。

いまだって、掃除機ないわ、洗濯機ないわ、電子レンジもないし、エアコンないわ、掃除は水拭きとコロコロで事足りる、洗濯はひとりだと量少ないからお風呂のときすればいいのよ。
自分でやった方がいい感じで調節可能な強弱がついて布も長持ちします。
それに、洗濯機は二層洗濯機の方が確認できて好きだわ。


ところで、
ピグミー・バカ族の話から、共在感覚というのが気になっております。



共在感覚とは、木村大治氏(京都大学 アジアアフリカ地域研究研究科(ASAFAS))の生み出した言葉です。
この感覚は、コミュニケーションの「一緒に仲良く、手と手を取り 合って」というのではなく、
無視したり受け流したり、思いを断ち切ったり、互いに我慢し合う、そういう態度や構えも含んで一緒にいるというあり方のことなのだそうです。

なら、この地球にいま、中今で記憶で繋がってる人たちも含めて、人でなくても部屋の植物でもいいし、すべてがそうなのですか。

共在することのしんどさというのがありますよね。
合わすと疲れるし、一人の時間がないとダメなわたくしなどは、ホント、毎度これで苦労してます。

バカ・ピグミーの共在のありかたって、それが無いのかもね。
会話してる時は、発話重複(発話が重なり合う)。そしてある瞬間、長い沈黙の時間が継続するのだけど、それを誰も気まずいと感じていない様子なのです。

この間のスピ系の集まりでさ、主催者のオンナが「どないしたん、(私がいないと)やけに暗いやん」みたいな言い方をしてきてさ、ほら、話さない人だっているのよ、こりゃ、わたし盛り上げなあかんと頑張っても話さない人は話さないのよ。


バカ・ピグミーでは、重複も沈黙も社会的に問題がないものなのだそうです。

また「相手を特定しない大声の発話」という発話の形態があるのだそうだ。
村の広場で誰かがいきなり一人言を大声で話し始める、なにを言おうが誰もそれを面と向かって受け止めないどころか、むしろ無視しているし、話す方も気にしないで話し続けるという。

「完全に対話的でもなく、そうかといって完全に相手を特定しないブロードキャスティングでもない、ある範囲の人々をぼんやりと相手に発話するという状況」

共同性がつくりだされる場は設計できるという人がいる。
同じ空間にいながらもそれぞれが孤独を感じる。というのではなく、その場に固有の「共に在る感覚」が生成され得るという。