存在という名の砂時計

このパン、都島区の方に少し歩いて行った途中にある雑誌でも紹介されたことのあるパン屋さんです。
小さな小さなパン屋、女性が一人でやってるのかな、とっても美味しいの。
昨日、おひるま、38度はあったね、厳しい残暑ですわ。
そ、それよりも、
正確には、22日の真夜中、午後13時30分ごろです。
スピ系たちが、夢の中にまで登場して、とてもこわかったですわ。
臨場感あったしで、目が覚めて、しばらく仰向けになったまま固まっていた。
いま、読んでる人工知能関連の本にニーチェが登場しています。
永劫回帰のこと記してあったの、
同じものが永遠に繰り返す時間というものを考えたわけです。
わたしがいま、経験している人生は、なんと以前にもわたしが生きた人生かもしれないんだって、
再生やね。
その再生の人生には新しいものなど何もない。
喜怒哀楽も思考も、極限から極限の大小までの物事まで、すべて同じ順番で、同じやり方で繰り返される。
存在という名の砂時計は永遠にひっくり返される。
砂の中の一粒であるわたしも繰り返されるのみ。
ニーチェのこの考えは、反政府的な革命家、オーギュスト・ブランキの影響を受けているらしい。
ブランキは人生の大半を監獄で過ごした幽閉者で、筋金入りの頑固者、伝統を否定し権威に従うことも拒否した。徹底的に唯物論者としての立場を貫いた。
円環であり始まりも終わりもない。
この世に存在するものは元素の集合体、元素の種類は限られている。
われわれの世界とまったく同じ元素の組み合わせを持つ分身が無限にいるかもしれない、双子の地球は無限に存在していて、そこにも、われわれとまったく同じように暮らすわれわれそっくりの人間がいる。
いま、この地球で暮らす誰かは、他の誰かの繰り返しであって、いつか他の誰かがどこかの地球で無限に繰り返すものなのだ。
同じものの無限の回帰、
果てしない再開、
いつまでも続く繰り返し、
存在という名の砂時計を何回でもひっくり返して、それをトポロジーで表現すると円環になる。
変化はなにもない。
どうよ。
問題は有限の元素なのかもしれない。
ともかく、繰り返しであっても、他の誰かの何億とあるパターンだとしたら、まあ、種類豊富だからいいかなとも思います。
時代設定とかどないなるのか。
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