Meimay's days

I write about my daily life.

自我の発生

meimay


花吹雪のなか、公園ランチしました。
花びらが舞う、花散る有様の背景ってどういう感じですか。いとかなし。

夜風、つよしでお風呂はいってこれから寝るまえに昨日のつづき。


吉福伸逸氏の本から読みながら記します。

自我が発達して力を持つようになると、まあ、社会的に機能できるようになってくる。

日本人は西洋人から見ると自我は発達不全だと見られることがあるが、日本人は自我の在り方が文化の中に入り込んでいて自我をゆるやかに包んでもらえるようなところがある。
それは心地よく、ぬるま湯ともいえる状態で際立たなくてもそこにいられる。

古代インドの四住期という考え方は、学生期、家住期は自我をしっかりと強めていき、他との関係性にきちんと機能して反応できるような状態を作り、林棲期には、その自我をある程度ゆるめる作業を行い、遊行期には巡礼をして徹底的に自我を明け渡す。

日本神話だと、自我形成の過程はヤマトタケルノミコトでもいい。英雄物語。

ヒーロー、ヒロイン、他人とは違う、わたしだけの物語。その逆も然り、アンチヒーロー、悲劇のヒロインという被害者意識の物語。
メロドラマの罠に陥り自己中心的にしかそれを捉えないので、そこには感情を背景としたメロドラマが生まれる。


それってブロックなのかな。
せっかく湧き上がってきた情動をそこでそのプロセスに言葉を与えて頭で納得させようとする。


感情という生命エネルギーを自我が解釈して、怒りや喜び、悲しみというように形を変化させている。と、吉福氏は考えている。

激発した感情のプロセスを治めようとせず、感情の流れをしっかりと受け止めてプロセスを見ていくと、経過したあとには穏やかな気持ちになるのだそうです。

そこからさらに進むと、おそらく美という言葉に集約されるような状態に行きつくと。と、吉福氏は考えている。
その美を吉福氏は「いとあわれ、いとかなし」という大和言葉で表現しています。


うーん、それって、わたしが思うに、桜の花びらがいっせいに散りゆくあの美しさと似かよっているのかしらと思いました。


つづくかも。