Meimay's days

I write about my daily life.

わからないね。

meimay

 

昨夜、お花の向こうに座ってこっちを見ているタケチンLOVE.

 

 

今日の午後、寝起きの不機嫌そうなタケチン、耳が折れてるよ。

 

 

本のつづき、

対象の恒常性、この種の同一性は時空を超え、保たれる。が、ここでの同一性は固有性(固有名)と置き換えることもでき、単独性がある。

 

人間=単独性=同一性(=キャラ)

人格の単独性を失った人間は、複数の同一性(=キャラ)に分解してしまう。キャラの特徴は複製可能(コピー)可能である。

 

キャラは同一性を伝達するもの。

 

ラカンのいう「想像界(この世)」は、自分自身を見る視線を見る(まなざし)というメタ構造があらかじめ織り込まれている重層的なレイヤーをもつ。

身体性もまたそうであり、重層性をもつ虚構世界にあって、統合的なアイデンティティをもつ成熟した人間のイメージが衰弱するということは、より単純で虚構性の高いキャラが前景化していくというのは必然ななりゆきである。

同一性を伝達する記号としてのキャラは身体すらも必須ではない。身体性を欠くがゆえに、虚構性世界のレイヤー間を自在に移動できるというキャラは同一性を伝達するもの。

 

ああ、わかりにくいわ!

meimay思うに、統合的なアイデンティティをもつ成熟した人間のイメージは衰弱の一途をたどっているということなのだろうかな、それは身体性必須でありましたが、もうネットとか電波系の発達により風の時代はそういうの重たいので、頑張らない苦痛じゃない成熟いらない楽にコピーで行きましょう〜という単独性を欠いた同一化したキャラが前景化したスクリーンに変化してきているということなのでしょうか。

もうあの成熟し発酵した納豆のような輝きを放つ光ではなく、ただコピーした光で皆、光っているのだろうか。