エーテル体について5

昨日のブログメモ、お米をご飯に訂正しました。
歳差運動、26000年のサイズの輪、陰陽、1300年まえに陰に向かい、今度は陽に向かうという。
わたくしは、歳差運動などはどうでもよく、微妙なのでいつから陽に向かっているのか、水瓶座の時代というのもよくわからない。風の時代だという人もいる。風の時代はこういう時代でこういう生き方が好まれ、古い概念は崩壊していくと言われても即ではないので、ふふんとか思ってしまう。
星座、星の巡りなどに興味のある人は春分、冬至などに意識がいくのだと思うが、わたくしはそういうのには興味が湧かない。身近でいえば、夜が訪れて、夜明けがやって来て、朝と昼、日暮れがやって来るという小さなサイクルの大型版だと思っている。
中和、中性というのもよくわからない。
中和というくらいだから男女の場合、どう中和されるのだろうか。もやっとした感じになるのだろうか。
ある集まりで、「わたしは男性性の方が多いと思います。」「わたしは男性性70%くらいです。」などと話していた人がいたが、その男性性というのは社会で働いていく中で、鍛えられたスッパスッパと切って行くような受容性のない男性原理が強い男性化した女性のようにしか思えない。あと、女性化した男性とか・・・そういうのではなくて、もっと複雑なのではないのか。男性化した女性らしき人とはよく仕事先で出会ったりするけれど、たまったものではない。非常に打算的で合理的な感じがする。
エーテル体は生命力を表す宇宙のプラナーを入れて置く網目の籠だという。色は、薄い金色らしい。古代日本では、天皇を守る巫女は織物部の集団でもあったという。天皇の羽織る保護としての網はアストラル的な攻撃から守るための防護服でもありエーテル体の仮装の模倣ともいえる。
エーテル体が強いと生命力が豊になる。運勢も強くなる。オーラが大きくなる。
エーテル体が弱いと時間と空間を超えた領域とのアクセス(感知力)が遮断される。
エーテル体はより上位の意識との架け橋である。
光と影、グラデーション、メインの人格、闇と光の統合、大きな円の回帰。オーラの拡大には影の領域を減らす必要がある。
うーん、これはこれは難しいことである。わたくしには。
画家モネのぼおっとした輪郭と空気感はエーテル体を表現しているのだろうか。ムード、気配、空気感をモネの絵で感じてほしいと思います。それは振動密度なのだろうか。確かに好きな絵画のまえに長時間たたずむというのは素晴らしいと思う。それはその絵のすべてと会話することでありその中にはもちろん描いた画家のムードも感じ取ることができるし、視覚で観ているだが、五感すべてを混然一体として受け取っているようにも感じる。
いま、あべのハルカス美術館16階で「楳図かずお大美術展」が開催されている。まだ行ってないけれど、17階のイタリアンカフェに行ったときに16階のエスカレーターを上るので、絵をコピーしたポスターが目に入ってくるのである。佇まずにはいられないのがこわい。
折口信夫はモノも長年使うと魔物になるという。
なんでも、エーテル体の目でみて存在しないものは、まだ魔物になっていないもので、人生には役に立たないものなのだそうだ。プロのギタリストなどはエーテル体の目で視るとギターだけはエーテル体まで浸透しているので、視えるとかそういうのだろうか。
つづく。
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