Meimay's days

I write about my daily life.

つわものぞろい

meimay

パート、なかなか順番がまだまだ覚えられない。

ミキサーの皿を棚に置く。

この食器はここにしまう。

トレーの設置位置を覚える。

などなど、細かく何段階にも分かれていて、まえのホームでは段取りのいいわたくしだったが、このホームではとろいのであった。

 

優しいと思っていた年配の人たちは何年も同じことをしているツワモノで、大阪のおばちゃん(60代)は優しさの出し方が極まっている。それに、やはりどこも何かと裏の事情をかかえております。

 

 

タケチン、中古マンションのフロアーパトロール。

 

 

ふわふわフサフサのおしりLOVE.

 

 

聖書の神は唯一絶対の神であり、その神に模して創られた人間は被造物の中では特別な存在としている。

この思想はスピノザのいう神とはまったく違う思う。

スピノザの神は自然だから生命でありわたしたちも神の一部と言っていい。

 

そして、聖書は人間だけが理性的であるとしているように思う。わたしが思うに人と暮らしているネコやイヌなどの生き物たちには理性らしきものが芽生えるのではないのだろうか。特に犬は顕著にそれがわかるように思う。人間の喜怒哀楽の怒の感情を冗談っぽく出して叱ったとしても汲んでくれて気まずそうな顔をするのである。ネコだってそうだと思う。動物は変性意識などになるのだろうか。巫女的な女性がなる変性意識、あれは動物以下だと思うときがある。自分でコントロール不可能になったりするのは動物以下だからで、そういうのは動物的な本能とはほど遠いから審神者が必要な状態ではないのか。審神者がいなかったらただのアホだ。

それにだ、そういうわけのわからない意味不明の本能的な能力なのかどうなのかわからん変態意識に己で優越感的に披露する態度も見ていて大変、気持ち悪いものを感じる。

 

ところで、これはくれぐれも思うことなのであるが、日本の神道はレビ族(ユダヤ人の離散した祭司階級)の儀式を踏襲している。

けれども、日本の民族はもっとものすごく古い。渡来したユダヤ人を受け入れて古神道の中にユダヤ儀式を取り入れて融合した。なぜ融合したのかというと多神教的ユダヤ人(北イスラエル)だったからで、それか日本への旅の途中のどこかの大陸で原始キリスト教に改宗したと思うからであります。