Meimay's days

I write about my daily life.

対談本から思うことなど

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昨日は天王寺駅界隈ショッピングデー!

 

まえの日、明日は台湾料理かラーメンにしようと思っていたけど、ランチはおうどん。

注文したうどんはトロミがついていてラー油も添えてあり、和風味の中華風で涙。

 

 

湘南に住んでいる知人にLINEをすると、茅ヶ崎海岸で開催された南佳孝さんのライブに行ったときの写真が送られて来た。南さんのライブ、また行こうかな。

 

本棚から吉福伸逸氏の対談本を取り出してまた読んでいる。

日本でのヒッピームーブメントはそのグループの敬称としては「部族」とよばれていたのだろうか。どちらかというとアレン・キンズバーグに影響を受けたビートニクに近かったらしい。思えば20代の前半、あの集まりは部族っぽかったのかなあーと、今思えばそうだったのかも・・・と、遠い目になる。

でも彼らたちはわたしが受けた印象ではヒッピーなどでは決してなかったように思う。根を張ったボヘミアンという感じがした。というのも写真家、画家、音楽家として、関西エリアだけだとしてもある程度はモノになっていたし、様になっていたようにわたしには映っていた。彼らは今、70代前半から後半の人たちで、当時、わたしなどは羨望の眼差しで話を聞いていた。

 

「部族」を調べてみると、「部族」には名前があった。当時のコミューンは国分寺の「エメラルド色のそよ風族」、富士見高原の「雷赤鴉族」、そしてトカラ列島諏訪瀬島の「がじゅまるの夢族(後にバンヤン・アシュラマと改名)」、宮崎の「夢みるやどかり族」や「祈るカマキリ族」、奄美大島の「無我利道場」などがある。血の繋がりのない大家族みたいなものなのだろうか。わたしはそういうのは気持ち悪いと思うものだけれど、幼年時代はそういうなかで育つのはいいことなのかもしれない。

 

ところで、生贄である。

供養に生贄は不要だと思う。古代から世界各地で行われていた宗教儀礼としての「供儀行為」を自然の摂理とはとても思えない。もうすぐハロウィーン、ハロウィーンの起源はドルイド僧が行う悪魔崇拝のお祭りなのではないのか。そのような生贄儀式は闇だとさえ思う。

旧約聖書の神は血塗られた神のイメージがあるし、申し訳ないのだけれど旧約聖書は手に持つのも嫌な書物である。グノーシス主義たちは旧約と新約の神は違う神だというが、どちらも霊的にはこの世と接触が近い霊的世界であるように思うし、そこの存在たちはそれを欲するのかもしれない。

 

ちょっと、ケルト、ドルイドなどを調べて思い返してまとめてみようと思う。