武内宿禰の子孫
ちょっとN山さんの動画を鑑賞していた。
奈良時代にペルシア人が渡来していたって、この日本列島に大陸からのいろんな人種が渡来していたと考えてもおかしくはないのは、年1回、奈良で開催されている正倉院展見ればわかるわかると思う。
古代の最大の謎はいろいろあれど、まず、記紀は隠蔽されている。
聖徳太子は血生臭い時代を生きていた政治家であり聖職者などではなかったと、聖徳太子が聖者のように讃えられるということは、大体がろくな死に方(毒殺説)はしておらず、敵人によって葬られ祟らないように聖者として祀られたということになる。怨霊信仰のことは梅原猛氏も記している。
祟り信仰は崇神天皇(大神大社)の時代からある(オオタタネコを祀れという大物主神託(ナーガ系の神))。
武内宿禰の子孫がすごい。
羽田氏
巨勢氏
蘇我氏
平群氏
葛城氏
紀氏
皆、親戚筋だと言っていいと思う。
で、蘇我氏からの流れがずーーーーっと来て、蘇我倉山田石川麻呂の娘である姪娘(めいのいらつめ)が、天智天皇(中臣氏)に嫁いでいる。
なので、蘇我倉山田石川麻呂と天智天皇は裏で画策していたと思われる。そして、大化改新(乙巳の変)で、蘇我入鹿の首を切ることとなる。
ということなので、蘇我倉山田石川麻呂は蘇我氏なのだけど、蘇我氏を裏切った裏切り者ということになる。
聖徳太子(蘇我氏)は、用明天皇と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)との間に生まれた子である。
聖徳太子は推古天皇と仕事をしていた。
で、推古天皇が死ぬ。で、舒明天皇が皇位を継ぐ。
で、聖徳太子は舒明天皇に毒殺されている。
大化改新(乙巳の変)とは、蘇我氏を滅ぼすということである。
蘇我氏に敵対していたのが中臣氏である。
それはなぜかというと、物部氏と蘇我氏の争いでは中臣氏は物部氏側だったからであります。
くれぐれも物部氏というのはものすごく古い氏族で武内宿禰どころではなくニギハヤヒなのですからして・・・ヤマトの国をつくったのは出雲の神々(ナーガ系だと思う)だと言っていいと思う。祭祀という神々重視の世だったのが、蘇我氏のような土木建築抜群の技術を持った革新的な氏族が渡来して、実は律令制度なども蘇我氏がやろうとしていたことは研究でもわかって来てます。
そりゃそうです。
蘇我氏って革新的でヒスイという宝も持ちえていたのですからね。
いままでの常連的な古い氏族などは、蘇我氏にしたら古臭くてたまらんわけです。
で、その蘇我氏が聖徳太子一族を滅亡に追い込んだということになってます。
蘇我氏が、めちゃくちゃ悪人に仕立てられている大化改新というのは、蘇我氏を悪人にするための大義名分ということになっているのです。なぜなら日本書紀を編纂したのは藤原氏(中臣鎌足の息子の藤原不比等)なのですからね。
長くなりそうなので、つづく。
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