Meimay's days

I write about my daily life.

実相の世界(物自体)

meimay

 

豆乳南瓜スープに市販のカボチャスープの粉末を混ぜてみたら不味くなったので、捨てようと思いながらもカボチャのプリンにしてみると少しはマシになったけど、いまいちだったので、米粉を入れてボテチンクッキーにしてみるとまあ美味しくなったように思う。

 

昨年から参加しているサロン情報では、幽界は今月中でなくなるという。

それは次元が上がるということなのだけど、高次元の魔界がなくなったというわけではないという。

 

幽界はもうすでになくなっているという女もいるが、そいつの情報はまったく信頼していない。神社に神はもういないとも言っていたが、それって変な話ではないのか。

なぜかというと、量子論でいうと、いるけどいないになってしまうからだ。

電子は全体に遍満しているので、神社で祈ったとしても、その空間にはいないが、距離は関係ないので、参拝して祈ると感応することもある。

 

シュレーディンガー曰く

われは東方にあり、西方にあり、地上にあり、天上にあり、われは世界なり

波のように重なり合って遍満しているので、祈るとポコッと出現するのだろうと思う。

 

わたしたちは、世界をありのままではなく、脳内で加工してこの世をみている。

だから、ありのまま(物自体)は、視えていない。

 

 

無意識、潜在意識、顕在意識(エーテル体意識肉体意識

 

日常生活では、主に肉体意識(精神と物質(分けることはできない))を使っている。

 

カントは、肉体意識の物質を物自体といい、そこは視えてはいないけれど、幼い子供たちや犬、猫などの動物たちはモノ自体が視えていることもあるので、精霊や天使が視えているのだろうと思う。

物自体とは、ありのままの世界ということなのだろう。

大人になり、わたしたちが見てる目のまえの世界は心の世界で、子供たちや犬や猫たちが視えている世界の方こそ物質の世界であり実相で物自体であり、本来の世界のありのままである。

これには仰天するだろう。

つまりは、わたしたち大人は、視るということが逆転しているのである。

人間は大人になると物自体から切り離されてしまうのである。

 

そのうち、花とか石とも話ができるようになるのだろうか。

 

エーテル体意識も(気とエーテル物質(分けることはできない))。