ニーチェの運命愛 2.

昨年、おもいっきり剪定をし過ぎたかなと思っていたハイビスカスの木、今年の夏は葉っぱを繁らせて復活してくれたように思います。
生命力を感じます。
来年は真っ赤な花を咲かせてくれるだろうと思います。
ニーチェの続きです。
孤独って、人間界では一人ぼっちで暗闇の中で、たった一人で佇んでいる感じなのでしょうか。
だから人は何かで気を紛らわせようとする。
でも、ニーチェの孤独って、ごくあたりまえのことで、ありのままに体験したらおそれることはなにもなく、それは本来の自分の姿なのだという。それは己の一部に過ぎない。
スピノザの思想を激しくした哲学がニーチェだと知人は話していた。
ニーチェが吠える超人とは・・・ニーチェ曰く、ラクダの精神から脱出するには獅子のような精神がなくてはならず、スピノザはその獅子のことを理性知と表現した。
超人という表現をスピノザは直感知と表現している。
知人の子供は、小学校の一年生のときは週に二回しか学校に行ってなかったという。理想としては、学校では無駄に座っている時間が多過ぎるので、一年生のときは5分だけ勉強をして、後の40分は遊ばす。
二年生になったら、10分だけ勉強をして、後の35分は遊ばす。
そして、中学校くらいになって、勉強と遊びの時間が同じくらいになったらいいな。という感じ。そうすると、子供に自律性が生まれるのだそうだ。
知人の子供は、小学校六年で、先生の願いを汲み取って、週に三日は学校に行くようになったという。
ニーチェのいう、超人とは、子供のもつような遊戯であり、ありのままであるということ。
子供は無心に遊ぶ。
ニーチェのいう永劫回帰(ありのままの自然)は円環運動だけれども、古代インドの思考である輪廻とは違う。輪廻は迷いの状態だから脱していないけれど、ニーチェのいう永劫回帰(ありのままの自然)は、目標のない無意味な遊戯のようなものだという。
遊びに意味はない。
が、輪廻思想は解脱(般若の知恵)という目的がある。
大体が、肉体は精神に従うものというが、ニーチェはその反対で、肉体の方が主で精神は従うものであるとしている。
無為自然で答えがない。
どのような状況になっても引き受けて生きて行ける。
どんな人生でも引き受けて行ける逞しさ、それをニーチェは運命愛だといっている。
つづく。
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