Meimay's days

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秦氏のこと

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9月、一日雨模様
石灰のおかげでハイビスカスも元気になって良かったわ。


さて、古代氏族のことをまた整理整頓する。

物部氏の神道は、古代ユダヤ信仰という説があります。
じゃあ、神社っていったい何、ここで物部氏ほど古くはない秦氏の紹介をします。


紀元前後(1世紀頃)、いまの兵庫県赤穂市坂越という港町に秦氏は渡来しました。

彼らはユダヤ系原始キリスト教徒(ローマ帝国から異端とされ迫害されたために、エルサレム没落時に東方へ移動)で、北王国イスラエルの失われた12支族のなかの10支族で、その一部がシルクロードを越え朝鮮経由で日本に渡来したという説はいろんな角度から見ても明らかでしょう。

秦氏らを受け入れたのが、応神天皇であります。

シルクロードの終着点は奈良、
当時は絹の道を通って数々の物、人々が奈良の地に到着したわけだから、そのなかにキリスト教の思想があってもおかしくはないわけです。
奈良は国際都市といってもいい地だったと思う。

日本の古書「新撰姓氏録」には、秦氏を受け入れた応神天皇の時代に、功満 という名の秦氏が日本の朝廷に公式訪問したと記してあります。
その84年後に、功満王(ほうまんおう)の子らが大集団を率いて日本に渡来(2万人)したという記録も残っている。

秦氏が日本に持ち込んだものには、機織、土木、雅楽、芸術など幅広く、日本の伝統文化はユダヤ教に起源があると言ってもいいくらいです。
彼らの言語の発音も、地名、祭りのかけ声(エンヤーラヤなど)となり日本の地に定着していった。ちゃんと意味があるんですね(でも、日本=ユダヤではありません)。

秦氏が創建した神社は、自然に原始キリスト教に基づいた社となります。
京都府にある秦氏の神社、木島神社(蚕の社)には、天之御中主神(アメノナカヌシの神)が祭られてます。
記紀では、創造神である天之御中主神を秦氏の人々は、絶対神ヤハウェとして礼拝していたのではないか。


他に秦氏は、稲荷神社、八幡神社を創建した。

稲荷神社の頂点は、伏見稲荷大社(秦公伊呂具 創建)。
あの空海も、真言密教の僧侶たちも熱心に稲荷信仰を世に広めたそうです。
空海の予言にひとつに「鉄の橋で本土と四国が結ばれたら本土を化かした狐が帰って来る」という予言がありますが、秦氏と空海はもちろん繋がりがあるんでしょう。
空海の語学的才能は秦氏が先生だったのではと思います。なんたって、奈良は渡来人だらけだったのだしね。

稲荷という発音は INRI=ユダヤの王ナザレのイエスから来てるという説なのですが、稲荷神社の眷属はなぜ狐なのでしょうね? 謎です。


九州、大分県にある宇佐八幡宮は、八幡宮の総本山。
宇佐の地は、秦氏の居住地でもあり宇佐八幡宮の宮司を務めた3氏族(宇佐氏、大神氏、辛島氏)は、秦氏で、宇佐八幡に祭られているのは、秦氏を受け入れた応神天皇です。

記紀には登場しない「八幡神」は、秦氏が持ち込んだ神です。


5世紀になると、景教が日本に入って来る。
景教も原始キリスト教(ミトラ教と融合したローマ系キリスト教で392年キリスト教国教化を経て成立。その後、古カトリック教会から分裂して、中国で景教となりミトラ教とも習合して日本に持ち込まれた。だからキリスト教でありながらも仏像という偶像を作ることに抵抗がない)の流れを汲む宗教です。

「景」は、日の光、光明の意味、

景教は、他の宗教も受け入れつつも異教徒に改宗を迫ることなかったみたいだ。
秦氏だけで原始キリスト教(または景教)を守り続け、日本古来の神道とは同化したものの、土着の神道を改宗させるようなことはしなかった。


仏教も日本に入って来たけれど、仏教は仮の姿、東大寺は八幡神と繋がっているし、東大寺を建てた聖武天皇と光明皇后はキリスト教だったんだろう。

聖徳太子だって側近に秦氏がいた。
どちらかというと原始キリスト教(ミトラも混ざった)の影響の方が強かったんだろうと思う。
聖徳太子は仏教を日本に広めたと教科書にはあるが、これは虚像で「聖徳太子はいなかった」という説は、仏教を広めた聖者としての聖徳太子はいなかった。ということだろうと思う。

秦氏は日本古来の神道(巨石信仰、山の上で巫女が神と繋がって神の神託を伝えるという土着の信仰形態)と原始キリスト教を融合させた一族なんだろう。
秦氏が、神のいない仏教と繋がる筈がないとうのは理解できそうです。

続く・・・かも。