北の感覚

昨日は、暑かった。
ああ、昨日はマンションフロアでタケチンを見失う。七階まで上がってもいない。三階まで下りてもいなかったし、部屋にも戻っていない。もしかして、二階にいるのかと階段運動がしんどかったが、いつの間にか三階の階段の角にいた。
まじ、焦ったので、今後はパトロールのさいは、わしも注意してパトロールだ。
いつも、どこふく風のタケチンだ。
また、「善く死ぬための身体論」を再読している。
武道の場合は、よく意味のわからない型があって、「古流のすべての型は、最初に作った人の実感の裏づけがある。」という。その型を作った人の「これだ」という身体実感のリアルな裏づけがあるというのだ。身体の精度、感受性が上がると、この「なるほど、これだ」と、オリジネーターの身体実感がわかるはずだという。
古伝の型は意味がわからないものが本当に多いという。
いや、それってすごいですね。というのか、武道じゃなくてもそれって10年以上やり続けていれば商売だって刺繍だって、身体的な「これだ」が編み出されるとは思うのですけどね。皿の洗い方だって達人になればそうかもしれないけど、この間のパートはベテラン、未経験などは関係なかった。身体感覚って意識的にやらないと達人ほどには成熟しないのかもしれない。
現代人の身体に合わせてそれをやってはいけないとも思うという。
「君主は南面す」は、北極の磁力を感じることができる身体を持っている人たち、その方向に玉座を置く。道場では北が正面になる。リアルな身体感覚の裏づけとして、古代の人たちは、師匠が南面して座り、弟子たちは北面して居並ぶ。これですね。それが、現代人の身体感覚ではもう感じられなくなった。
北の感覚ってわかる。
伊勢神宮の外宮には、とても北方向を感じてしまう。というか北極星のエネルギーのようなもの。
あと、北枕だとよく寝れてしまう。とくにわたくしなどは、上に気が上がってしまう傾向があるので、北枕はいいのだと思う。今の部屋は北向きにできない間取りなので寝るのに時間がかかってしまう。
右と左、北半球で、右は沈んで左は浮く。
右回転は閉まって、左回転は開く。
クンダリニーの生命エネルギーだと、左回転で上昇して右回転だと下降回転になる。
太陽系の第三惑星上のある位置で暮らしているというだけで、人間の身体にはさまざまな物理力が作用している。
なんてことを聞くと、なーんだ、この世は幻想なんていうけれど、そんなこと言ってるから現代人の身体感覚はそれを感じ取れなくなってしまっているのかと思う。と、思うけど、誰でも感覚を持っているから敏感な人だったら微妙に感知するよね。例えば、いつも座る席の場所とか距離感とか駅のホームではどの位置に立つとかはすごく気になってしまう。
アーチになっているところはくぐり抜けたいアーチとそうでないアーチがある。
働いている場所では、どうしても入るときと出るときは入り口で、おじぎをしたくなる。これが段々とブラックになってくるとその感覚も消え失せてしまうけどね。
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