「まれびと」と「翁」
さて、先々日の続きであります。
第二回「まれびとの発見」
https://www.youtube.com/watch?v=shFW25zhVlg
妣(ははの国)とは、母親の系譜から伝わる無意識、自然な精霊の感覚(常世)、魂の故郷、そこからやってくる「まれびと」とは精霊のことで、わたしたちの心のなかに流れ込んで来る異質な世界の力のことを現している。
神道の神々の奥深くにある古層の神、折口信夫氏の神(精霊)は、内側から湧き出てくるような共同体としての神ではなく、外側からやってくる「まれびと」であるとする。
沖縄には「ニライカナイ」という言葉がある。
わたくし、「ニライカナイ」という言葉はシンガーソングライターであるCoccoの楽曲にある「ニライカナイ」という題名の曲で知ったと思う。
人があの世とこの世を循環するように新しい生命(精霊)が輪廻のように顕れてくる。その源泉の場所がニライカナイなのだという。
芸能の根源がここにあるというのはわかる。
音は立ち顕れてはまた消滅していく。
通路を開く。
神社で柏手を打つ。
両手で手のひらを合わせて音を立てると音はどのように響くか。
よく響くと、きっと神がいるのだと、わたくしなどは思ってしまう。
空気感が悪いなぁと思う場所ではついつい柏手を打ってしまう(祓いとして)。
第三回「芸能誌という宝物庫」
https://www.youtube.com/watch?v=D2hiAl4_eCk
折口氏は芸能は精霊との深い関わりの中で発達させた表現の形態だと考えた。
「翁」の発生!!!
ああ、ここで「翁」が、登場するとはものすごいシンクロなのです。なぜなら、ついこの間まで「翁」について少しだけまとめていたのである。「翁」といえば思い浮かぶのは住吉大社であります。塩土老翁(しおつちのおじ)は、導きと祓いの神だという。
塩土老翁の次の思い浮かぶのは、やはり武内宿禰であります。
動画では、能で舞う「翁」にはストーリーはないのだとか、芸能の最も古代的な姿は「翁」の中にあるのだというが、その意味や由来はわからなくなっていたという。
能では、「翁」である赤子なのか爺さんなのかわからない不思議な存在が舞台の中に顕れ軽い舞を舞ってスーッとと消えていくのだそうだ。無意識の領域であるあの世からこの世への通路を開き根源的な力が立ち上がって来る。そして、またあの世へ消えて去る。
「翁」の舞いが出現することによって、芸能を行うための条件が整う。ということなのだそうだ。
「翁」は「まれびと」であり、精霊で、あの世とこの世をつなぐ通路であり、根源から湧き上がって来る表現しなくてはという独立欲求(性欲)のようなものなのだろうと思う。
「翁」
母親の子宮とつながった胎児
北極星
精霊を統べる王
「翁」を調べていたとき、翁の背後には鬼がいた。
それと、俗世間から外された人たちというのは、精霊的な存在ともいえるのだろうと思う。この世とあの世をつなぐ流浪する芸能者(貴種流離)、この世では落ちぶれてしまってはいるが、実はその存在たちこそが神々や精霊と最も近しい場所にいて芸能を持って流浪している。
わたくしは芸能という領域だけではなく、神々や精霊と最も近しい場所にいるハズレものたちにどこか憧れているのであった。
この世からの概念からハズレている。
ハズされている。
自らハズレなけれは生きていけない。
ハズレものの集団は鬼や妖怪と云われたのかもしれない。
だけども、あの世とこの世の通路を開くのは、そのような存在たちなのだと痛感する。
古代はそういう存在たちのなかに何を見出して来たのだろうか。
まあ、思うに、他者に己の通路を見出せるようになるとそこに循環が生まれるのかもしれない。
第四回に続く。
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