怨霊信仰(御霊)

暑くなるとタケチンはよくタンスの上に移動して寝る。
今週から上の階の隣の部屋が改装工事をしている。音の件を思うと憂鬱な気持ちになっていたが、騒音はそうでもないので安堵している。
歴史本はやはり関裕二 著の本である。
本人もアイディアが浮上して、まるで降りてくるように導かれるように書いているという。
文庫本として手軽な値段でどこへでも持ち運べるA6判(148✕105mm)というのもとてもいい。歴史ある街を旅しながらポッケには関裕二氏の本という感じである。
聖徳太子のように聖者扱いされた人物は大体がろくな死に方をしていない。菅原道真などもそうで、大物主の時代から怨霊信仰(御霊)というのはあった。
聖徳太子は毒殺されたという説がある。わしもそう思う。
法隆寺は、聖徳太子の息子である山背大兄王を祀っていない。墓さえわからない。
蘇我氏が悪者にされ聖徳太子一族を破滅に追いやったということになっているが、山背大兄王自体がもともと存在しなかったのではないかと考えると、蘇我入鹿は大悪人にされたということになる。
蘇我入鹿はハメられたのである。
で、乙巳の変(大化改新)のクーデターで蘇我入鹿は首を切られたわけだが、そのような殺されかたをした入鹿も鬼になり祟ったという伝承がある。
ところで、鞍馬山などは天台宗から枝分かれしたので、密教なのだろうと思う。
Wikipediaによると、「護法魔王尊」(サナート・クマラ)、その身体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/鞍馬寺
上のwikiの本尊のとこを読むとそう記されている。
通常の人間とは異なる元素から成る。という部分がずーっと気になっている。
なぜなら、人間とは異なる元素から成ると、星の巡りなどには影響されなくなると聞いたことがあるからである。
惑星がどの位置にあるとかに影響され続けているのが人間ということなのだと思っている。
中丸薫氏の講演に30代の頃、一度だけ参加したことがあった。彼女は霊眼(アストラル的な視力)で、鞍馬山にある秘仏(60年に一回だけ公開されるという)をみせられたという。その秘仏は天狗のような長〜い鼻をしていたのだそうだ。
サナート・クマラ(ルシファー)が登場すると、神智学である。
秦氏が持ち込んだ原始基督教もメシア信仰といってもいいので神智学である。
高野山も神智学、かといって仏教は違うかというと仏教も神智学だと思う。
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