第一回「古代人の心を知る」
折口信夫 未来から来た古代人・第一回「『古代人の心を知る』」
日本民族の思考の法則(折口信夫)
1、直接、その地を訪れて肌で感じる。
わたくし思うに、変な話、神社で柏手を打っても響かない音のようだ。柏手が響かない神社には神はいないものと思われる。言葉では表現できないものは五感を使って表現するしかないのだと思うが、そこに知識や技術が加わると説得力や響き具合も増すのだろうか。いや、センスもいるしで、他者にギフトするまでにはなかなかだと思う。
2、古代人は精霊(日本の場合はタマ(精霊))がとても重要、夏の祭りは死霊をお迎えし歓待し、冬の祭りはタマの力を増殖させタマの力がこの世に溢れ出てくるようにさせる。
わたくし思うに、精霊の巡りは自然のなかに佇むとわかる。それは己も精霊そのものでスピリットは己の精神と相通じるところがあると思う。星の巡りやスピ系がとても重要視している冬至と夏至に意識はまったく向かないのだけれども、彼岸や盆などの行事が近づくと感じるところは大いにある。あとは、やはり祭りであります。星の巡りが身体と連動しているというが、わたくしはそれを意識的に感じたことはほとんどないし、星の巡りを気にし出すと縛られ感があるので、星占いは気にしいのわたくしには向いてない。
3、五感や言葉では伝えることができないものを顕在化するタマの力の手段が芸術と宗教の本質である(古代人たちは、タマの力を視えるようにするにはどういう手段をとっていたかを明らかにしたかった)。
わたくし思うに、あの世のものをこの世に迎入れ歓待することは人間が湧き上がってくるものを増殖させて、この世に表現し顕在化する。それ自体が変換したことになるのだと思うけれど、己の感動をギフトするまでに遊べるようになるにはそう簡単ではないように思う。
4、似ている部分を見つける類化性能、違う部分を見つける別化性能、類化性能は神話や文化の源となった。古代人は類化性能に長けていた。
わたくし思うに、神話的時間を生きると幸福感を感じるのだと思う。類化性能(アナロジー)とは、違うもののなかに共通項を見つけ出していくという作業で、比喩を生む。隠されていたつながりを見つけ出すという作業というのは、ただ相手に合わせるという行為ではない。それは存分に左脳的だと思う。目のまえが愛おしい懐かしいなどというものでもないと思うし、そこのとこはまったく共感してない。
折口信夫氏の類化性能の見出し方はとても厳密だと中沢さんはいう。
なぜなら折口氏は詩人でもあったと・・・ああ、それはすごい。
互いの類似化性能を生きるようになると人は詩的な会話しかできなくなるのだろうか。
二回目につづく。
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