ケイシーのリーディング(輪廻)

イカに魚子を詰めたものをスーパーの特設コーナーにて見つける。
とても美味しい!

今回は五個入りを買ったけど、来月は20個入りを買おう。
次は4月29日に行われるというので、カレンダーに印をつける。
今日は昨日よりも寒い。が、筋トレに行く。今回からいつの時間でも予約ナシで行けるというのがいい。
この間、買った対談本を読んでいる。
エドガー・ケイシーの本の翻訳もしていた光田氏とヘミシンクを日本に紹介した坂本氏の対談本である。
思い出した。
原始基督教は輪廻を説いていたんだね。
わたくしは原罪とは罪の意識の告白と思っていたし、クリスチャンだった人の話だけを聞いてわかった気でいた。皆のまえで罪を告白している集まりに参加したこともあった。その場で友人は過去と今の罪を告白しているのであるが、あれは、あれこそ偽りで欺瞞であるとさえ思ったほどだった。皆の同情を買い、お涙頂戴の芝居である。心の闇は皆のまえでは告白などはできないし、ずーっと墓場まで持って行くしかないと、わたしは思う。
原罪
誰でもいい人を演じたりはするし、必要とされる人になりたいと行動する。だとしても、光に照らしてみると邪悪でエグいという邪な心が人間にはあるもので、原罪にまみれているということを知ることは悪人正機を自覚することでもある。
ところで、もとクリスチャンだったというある人は反省さえしないらしい。まじかと思う。己が神だと思っているということも自分の宇宙だとしてもだいぶ理解しかねる。だって、その宇宙どんだけ〜としか思えない。反省さえしないのだから原罪などという概念は人を縛りつける一神教的な解釈でしかないのかもしれない。それで浄土真宗の教えである悪人正機を理解した気でいるのはとろいしあまい。
エドガー・ケイシーのいう聖書は牧師先生が説く聖書の読み方とはだいぶ違っている。
キリスト自身が30回も輪廻転生繰り返しているとケイシーはリーディングしているし、輪廻の概念を取り入れることで聖書は、はるかに明確になるという。
そして、わたくしが何よりも驚いたのは、エドガー・ケイシーを通してキリスト教に近づくと問題なく他の宗教も受け入れられるということだった。
つづく。
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