古代の基督教
さて、紀元前900ー607年頃、アッシリアという国が、今のイラクやイランの地域にありました。
その当時、イスラエルは南北に分裂していた(北イスラエルと南ユダ)。
アッシリア帝国は紀元前722年、北イスラエルを占領する。そのときに多くの北イスラエルの人たちを捕囚してアッシリアに連れて来られた。
北イスラエルの人たちは、イスラエル12部族の中の10部族で成り立っていた(イスラエルの失われた10部族)。
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5世紀になると、アッシリアの地域で、景教と呼ばれる基督教(東方基督教)が栄える。
アッシリアにはすでにユダヤ教徒たちが多く住んでいた。
そこへ基督教の福音が入って来て、基督教への改宗が行われたが、原始基督教は西方基督教(ローマカソリック)とは大きく異なっている。
原始基督教は、ユダヤ的な面を多く残した基督教だったのである。
景教(原始基督教)は、アッシリア〜ペルシャ〜中央アジア〜南アジア〜シベリア〜東アジア方面へと広がって行く。
やがて、西アジアから中国に至るシルクロードのには景教の教会がつくられる。
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日本へ渡来した秦氏が携えていた基督教はユダヤ的要素を多く含んでいたわけで、シルクロードには景教の教会もあったしで、シルクロードを行き来する人たちの大半はユダヤ的な側面を残した基督教とだったと思われます。
で、ここから弓月国(クンユエ)へと繋がって行くわけです。
佐伯好郎教授によると、弓月国は基督教国でした。
弓月国の人たちは中国に征服されて万里の長城建設などの辛苦を負わされた後、逃げるように満州を経て朝鮮半島に逃れて、そこでも苦境に追い込まれたわけです。
それを救ってくれたのが、応神天皇でした。
シルクロードの品々を奈良の正倉院展で見るにつけ、仏教ではないよねと思う。
それに聖徳太子のそばにはペルシャ人が何人もいたのだと思われます。
雄略天皇の時代(5世紀後半)には、秦氏は1万8670人いたと新撰姓氏禄には記されているようです。
つづく。
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