旧約聖書と古事記
昨日は天気が良かったので部屋の拭き掃除をする。
今日は生霊的なものを察知して寝ることができず、このブログを3時28分という真夜中に書いている。
人の執着心というのはこわい。
情熱という人もいるけれど、嫉妬と執着の場合が多々あると思う。それに気持ちの悪い正義感が加わる。
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午後から上の講演をyoutubeで拝聴しました。

奈良で買ってきた桜塩羊羹を濃い緑茶でいただきながらまったりと参加させていただきました。
旧約聖書と古事記の世界(講師 茂木誠)のちょっとしたメモ
日本のどこかに出雲と高天原があった。
神様は人間で祖先
ニニギ(天孫降臨)は船で何処かからやって来た。
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カイン(農耕民の兄)とアベル(遊牧民の弟)
イサクはユダヤ人の祖
アブラハム、神に試されイサクを殺そうとする。幼子よりも神を愛せ〜で土地を与えられる。
ヨシュア(モーセの後継者)
イシュマエルはアラブ人の祖
カナンは今のパレスチナ
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わたくし、昔、神社で行われていた記紀の勉強会に参加していたこともありますが、どーも興味を持つことができなかった。旧新の聖書の勉強会にもクリスチャンに混ざって参加していたけれど、こっちも出エジプト記でもういいかなと行くことをやめた。
旧約聖書の神ってとっても命令的でこわいという印象で偉そうな感じがして圧を感じる。
選民思想が介入してくるからなのかもしれない。
日本民族のことも主にはスピ系が選民的な意識で日本人を語る人もいる。要は神に選ばれたということで特別視をして優越感を得たいのだろうかとも思いましたが、そういうことでもないようで、もし、選ばれるとしたらその使命はまっとうしてほしいですが、ワケワカメの神に選ばれるってどうなのって思うところもある。
あと、講演会の内容とは外れるが、縄文人は争うことなく平和に暮らしていたそうですが、当時は人数的にはとても少なかったしで、少数単位で暮らしていて隣の縄文人地域はとても遥か遠くにいたという環境的なこともあったのではないのでしょうか。
それに、生きて行くのに精一杯だとしたら争っている場合ではないしで分け合うことで共存するしかないと思われます。
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