Meimay's days

I write about my daily life.

ウキウキ、ウッキー!

meimay


天王寺駅内のパン屋さん、プチクロワッサンの上に苺、ブルベリ、葡萄、のせてるね。ふた口でいただけるサクサク感!

昨日の続き、
型破っても、またその破った型ができてしまう世の中がある程度できたとして、また、その型を破る型破り道場ものが登場!するわけですから、フラクタルのように型は型破りものに破られていくわけですか。

次元上昇した人たちは型破りもんですか。

境界線を超えていくわけですから、努力とか苦労とか無いのですか。あったら、超えられないというのか、その果てにあるのか。

先日、あるデータをコピーしながら、
例えば、素晴らしい絵とか音楽とかを見えない世界から一気にとってこれる(おろし系か)チャネラーというのは、ただすでにあるものをコピーしてるに過ぎないなら、これって、0と1のAIに過ぎないのじゃないのかと思う。

だって、ただのコピーだもの。

繋がってる人間が違うだけで、表現されているのは、おろしている人の要素プラス、ピカソの要素がたっぷり。
つまりはおろしている人の情報量の豊富さとか成熟さとか自我とかの影響もあるなら、ひとつのオリジナルにはなるのかもしれない。
けど、それをチャネルしておろしてる人は、絵画の知識も無くて、技術もなくて、純粋におろして描いているならその人の癖も入ったコピーということになるのだろうか。

なんかつまんない世界だぞ、味噌もクソも同じじゃないのか。

だから、スピ系は、どーでもなーんでもいい。と、言うのだろうか。

「わ、見て、わたしピカソの絵の要素たっぷりの絵、描いちゃったのよ!」という世界が次元上昇した世界なのだろうか。

苦労も努力も微塵ない、ライトでただワクワクした世界というのがそれなのか、じゃあ、だから、好きなことを思いっきりしてください(引き寄せ)とか、言えちゃうんだろうか。
コピー魔術じゃないのか。

そういえば、以前、学んでいた岡山の知人は、
例えば、本屋に入ったとして、そのまま導かれるまま歩いて行くといま自分に必要な本のありかに辿り着くことができると話していた。

以前、参加したとき、わたしが導かれた本は、まったく関心のなかったできればパスしていたであろうと思われるサイババの本であった。
手に取った本がいま自分がまったく関心が無いという本だったので困惑してしまったことがある。
実際、何気なく本屋で手に取った本で、まあ、とりあえず買っておくか〜と思った本が、読んでわたしのなかで大ヒットだったことが最近あって、それ関連の動画とか情報を集めてしまったこともある。

そういう生き方をしてみるとどうなっていくのだろうか。


今朝、通勤電車の中で、「笑っていいとも!」の曲が頭のなかで流れていた。
小さな声で歌いながら仕事場まで歩いたね。


今夜、新幹線に乗り週末は実家へ行く。