聖なるもの

スコ座りをして休むタケルちゃん。

どーも、鼻の通りがスムーズではないのかもしれない。ゆえに涙やけと大運動会をした後は、このように口呼吸をしているときがある。
スコ座りは、スコテッシュに見られる「骨軟骨異形成」という病気だという人もいてるが、わたしは他のネコもこのような座り方ができるのを知っています。
ところでです、無縁の原理から生じさせた超無縁の組織って、秘密結社的といえばそうですよね。有縁を結びながらも神仏の領域へ関わると無縁の原理が働くとは、ゆえに贄が捧げられるとして、うーん、こわいといえばこわい。
仕事の引き継ぎをやっています。
新しい女性は30歳で、経験は三年ほどあるみたい、金曜日と同じ説明をまたしなければならなくてイラッとしてしまう。メモれよとか思う。ああ、会社の綺麗事的な対応のすべてにイラっとします。
でも、表面には出さない優しいmeimayです。
本読んでます。
墓守っていてたんですね。
山師、庭師、聖や非人にいたるまで、死の周辺に発達したさまざまな技術と芸能を一手に引き受けていた人たち。日本が誇る技芸のほとんどは、埋葬儀礼のまわりから生まれているんですね。
なぜ、彼らが神に近い人たちだったのかということがとても理解できます。
それは、世界の内側に組み込まれた外部を生きていた人たちだったからだと、表に出してはいけないとされているものを芸能というものは、魅惑的に上手に技として出して死の領域へ手招きするように誘い込む、その境界線に接近してはまたこちらの世界へ戻って来させるという。
聖なるものは、神への犠牲として尊ばれたりする。
大阪のミナミ、聖なる土地であるという、刑場から見世物へ、そしてお笑いの世界へその流れは必然的といえるのかもしれない。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。